もう一つの仏教学・禅学

新大乗ー本来の仏教を考える会

   
禅と産業 −片岡仁志

教育の根本としての人格

 片岡先生(この稿の記述は、敬語を省略して「片岡」と呼ばせていただく)は、昭和五十八年五月、長野市教育会総会で、「教育の根本としての人格」と題して講演を行なった。現代社会において、様々なひずみがおこり、「心の教育」が議論されるようになった。片岡の主張は今でも、いや永遠に通用する新しい教育理念であろう。人間の本質に目をすえた教育理念であるから。

 この講演の内容を中心にして、他の論文からも補強する事項をも見ながら、片岡の教育理念を見てみよう。

教育の目的は人格の完成

 まず、教育の目的は、そもそもどこにあるのか、という原点を問う。
◆「戦後の民主的国家に生まれ変わる日本の教育の目的は、新憲法に基づいて、教育基本法という法律の形で規定されることになりました。・・・・  教育は、人格の完成をめざし、平和な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値を尊び、勤労と責任を重んじ、自主的精神に満ちた心身共に健康な国民の育成を期して行わなければならないというのであります。」(A7)
 教育の目的は、「人格の完成をめざす」ものである、という。「学科のテクニック」を教えるだけが教育ではない。しかし、今の教育は、そうなってしまって、「人格の完成をめざす」ことが全く忘れさられていないだろうか。仏道の目的は、「自己とは何かを究め、それぞれの生活に自己実現していく」ことであるのに、「祈祷の方法、葬式の方法、お経の唱え方」を習得することと勘違いしているのと似ていないだろうか。また、縁起の理解だけで済むものであろうか。
 教育基本法が、教育の目的は「人格の完成」というのであれば、では「人格」とは何かが教員の間で理解されていなければならない、という。
 では、教育の目的である「人格」とは何か、を話題にする。

「人格」とは何か

 片岡は、まず、西洋の哲学者ルソー、カントの人格の考え方を紹介する。 ルソーは、『エミール』という小説の中で、すべての人に「良心」がある、と言った。

すべての人に良心

◆「どんな人にでも皆、神は良心というものを、付与している。学者だけが良心を持っているのではない。学問のある者もない者も、富める者も貧しい者も皆、平等に良心というものがあって、しれがあればこそ、神に等しい人間の尊厳というものが認められなければならない。」(A10)
 次に、ルソーの言葉に感動したカントは、「良心」を哲学的に明らかにしようとした。カントの人間についての思想を紹介する。人間には我利を守る利己的傾向(自然の傾向性)があるが、人間には、また真理を認識して、我利を悪として、我利を打ち砕く良心(実践理性)もある、という。

「自然の傾向性」

◆「自分にとって、こうした方が得だとか、こうした方が快楽が得られるとか、こうした方が利益になるとか、という欲望が働きます。カントは、それを自然の傾向性と言っています。」(A13)

「実践理性」

◆「人間の理性は、真理を認識するばかりでなく、真理に合ったそういう行為を規定する。そういう能力として、理性は働かなければならない。それが実践理性なんです。行動というものも、真理を求めてやみませんから、その行動が普遍妥当性を持つ善なる行為ですね。自分だけに通用するけれど、他の人には、同じような行為をしたならば、それは、通用しないというような、そんな主観的な妥当性でなくて、なにびとにとっても自分がかくの如くしようとするその行動が、自分のみならず、なにびとが、どこで、いつやっても通用するような行為でなければ、善なる行為ではない。そういう原則、法則性を絶対に要求する理性の意志的作用、これをカントは、実践理性と言います。」(A13)

人間の喜び

 なぜ、我利を犠牲にする人がいるのだろうか。良心は、我利を排除し、高い境地から他の人の利益を図ることを喜びとするのが人間である、そういう良心にめざめる人がいる。仏教でいう無我はそういう宗教実践が重要であって、無我を縁起説で理解するだけのものではない。自然の本能からは苦痛であるが、それを採らずさらに高い立場、良心から出てくる要求が、満たされること。これは非常な満足を呼び、人間のみが持つ感情である。
◆「ひとたび我々の欲望が正義に反する場合、実践理性が我々の自然欲望を断固として否定し、あるいは粉砕す る力をもってくる。この対立の克服において出てくる感情、これがカントの有名なアハトゥングスゲフェール、 畏敬感情、尊敬の情というものです。」(A14)
 これは、親子の愛を例にとれば、わかりやすい。食べ物が少ない時、本能としては、自分で食べたいのが本能であるが、自分で食べないでわが子に食べさせる。子供が喜んでいるのを自分の喜びとする。こういう物質的なことばかりでなく、また親子関係ばかりでなく、すべての点で、自分の不利益であっても、他の人のために、社会に貢献する行動を選択することによって、非常な満足を得る良心が人間にはある。これは、神にあるのではない。すべての人間の自己の根底にある。次に、この「実践理性(良心)」を生まれさせる「自己」とは何か。
   
このページの本アイコン、ボタンなどのHP素材は、「てづくり素材館 Crescent Moon」の素材を使用しています。
「てづくり素材館 Crescent Moon」